連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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バイリンガルになるためには、言語能力(生活言語能力)の予備能と学習言語能力を流用していることが分かりました。それにしても、なぜ外国の人と比べて、日本人はなかなかバイリンガルになれないのでしょうか? 冒頭では、もともと外国語の習得に困難がある状態を「語学障害」と名付けました。これは、日本の国民病(文化結合症候群)とも言えます。文化結合症候群とは、ある文化と強く結び付いて出てくる精神障害です。例えば、日本人ならではの「対人恐怖」(社交不安症)が挙げられます。昨今の精神障害は発達障害も含むことから、語学力の発達の困難さとしての「語学障害」は、文化結合症候群に含まれると考えることができます。
それでは、ここから、この「語学障害」の原因を主に3つに分けてご説明しましょう。
①モノリンガルにとらわれている
前回(2023年9月号)、生活言語能力の予備能が約40%あることを推定しました。しかし、これは、スペイン語が母語である場合においての話です。スペイン語は、英語と並んで生活言語の語彙が少なく、格変化も少ないなど文法も単純で、比較的に習得が簡単な言語です。一方、日本語は、「私」「おれ」「ぼく」など1人称のバリエーションの数の多さからも分かるように、生活言語の語彙が世界的に見てもずば抜けて多いです。また、他の言語にあまり見られない尊敬語・謙譲語・丁寧語、擬音語・擬態語、助数詞なども含めると、膨大になります。
「語学障害」に陥る1つ目の原因は、日本語(母語)に予備能をすでにかなり使ってしまっている、つまりモノリンガル(単一の話し言葉)にとらわれていることです。実際に、生活言語の習得は、世界的には概ね8歳ですが、日本語については遅れて10歳までかかると指摘されています。その分、必然的に、英語(第2言語)に使える予備能が減ってしまいます。
この状況を例えるなら、スペイン語は胃にやさしい料理であるのに対して、日本語という料理はかなり癖があり消化酵素を余分に使う(予備能を使う)必要があり、その分、次の英語という料理でいっしょでは消化不良を起こしやすいというわけです。
ちなみに、この予備能は、母語と第2言語の組み合わせ(言語の距離)によっても変わってきます。先ほどのスペイン語とスウェーデン語に加えて英語は同じ言語圏(インド・ヨーロッパ語族)として、発音、語彙、文法が似ており、言語の距離が近いです。一方、日本語とこれらの言語は発音、語彙、文法が全く違い、言語の距離がかなり遠いです。その分、日本人が英語を習得する場合、必然的に予備能をより多く使わざるを得なくなります。逆に、日本語と言語の距離が近い韓国語は、予備能を多く使わなくて済みます。
この状況を例えるなら、スペイン語とスウェーデン語(または英語)、日本語と韓国語は食べ合わせが良く(言語距離が近く)、いっしょに消化しやすいのに対して、日本語と英語は食べ合わせが悪く(言語距離が遠く)、やはり消化不良を起こしやすいというわけです。
②モノリテラルにもとらわれている
英語のアルファベットが26文字であるように、多くの言語で文字の種類は限られています。一方で、漢字はかなりの数がありますが、本家の中国では簡略化された漢字表記が広まっています。韓国では漢字自体をすでに廃止しています。一方、日本語では、ひらがなとカタカナのそれぞれ46文字に加え、常用漢字は約2000文字で、簡略化はほとんどされていません。さらに、例えば「生」の漢字の読み方のバリエーションの数の多さからも分かるように、漢字の読み方の違いも含めると、やはり膨大です。
「語学障害」に陥る2つ目の原因は、日本語(母語)の書き言葉に学習言語能力をかなり使ってしまっている、つまりモノリテラル(単一の書き言葉)にもとらわれていることです。その分、必然的に英語(第2言語)に使う学習言語能力の時間や労力が減ってしまいます。
③モノカルチュラルにもとらわれている
世界のほとんどの国で、語学を学習する目的は、その言語を使って生活したり仕事をすることです。一方、日本人は英語を学習してもそれを生活や仕事に生かす人は限られています。欧米への憧れはありますが、実際に海外に出ていく人は少なく、異文化に入っていくことに消極的です。また、移民の受け入れは極めて少なく、異文化を受け入れることにもかなり消極的です。基本的に私たちは日本人だけで固まることに居心地の良さを感じています。
「語学障害」に陥る3つ目の原因は、日本文化(母国文化)から抜けきれない、つまりモノカルチュラル(単一の文化)にもとらわれていることです。その分、必然的に英語を異文化として理解しようとする気持ちが弱まってしまいます。
実際に、私たちは英語を長年勉強していることになっているのですが、その実体は日本文化によって色濃くアレンジされた受験英語です。これは、英文を読んで日本語で書く設問と日本語の文章を読んで英文を書く設問がほとんどです。逆に、英語を聞いて英語で話す、または英文を読んで英文で書く設問がまず見当たりません。点数化して優劣を付けやすいからこのような設問ばかり出題せざるを得なかったという事情もあるでしょうが、これでは英語の全般的な語学力を測っているのではなく、単に翻訳に限定した日本語の能力を測っていることになります。
教育論者の中には、日本語の表現力を高めるために、むしろこれが望ましいと主張する人もいます(*2)。確かに一理あります。しかし、だとしたら、最も効率的なのは、英語ではなく国語の勉強に専念することです。つまり、英語によって日本語の能力を高めると主張すること自体モノカルチュラルにとらわれていることが分かります。
この点で、日本の英語教師の多くが英語を流暢に話せないのも納得が行きます。彼らの実体は翻訳の教師であり、英会話の教師ではないのです。この状況は、海外の人からはとても驚かれます。日本語の読み書きはできるけど会話はできない自称「日本語教師」に日本語を教えてもらいたいと外国の人は思わないのは容易に想像できるでしょう。逆に言えば、英語を流暢に話せない英語教師が大多数だからこそ、生徒に英語の全般的な語学力を高めるという教育方針を打ち立てられないとも言えるでしょう。
なお、モノカルチュラルにとらわれていることは、異文化による文化の淘汰圧がかからず、外国語による言語の淘汰圧もかかりにくくなります。そのため、結果的には日本語の話し言葉も書き言葉も、よく言えば多様で豊かなまま、悪く言えば中国語や韓国語のように洗練されずに難解なままになってしまっているというわけです。このようにして、モノリンガルやモノリテラルにとらわれるという悪循環が起きているのです。
なお、そもそも日本人がモノカルチュラルにとらわれている原因は、不安を感じやすく受け身になりやすいという独特のメンタリティが考えられます。この起源の詳細は、以下の記事でご覧ください。
●参考文献
*1 英語学習は早いほど良いのかP101、P116:バトラー後藤裕子、岩波新書、2015
*2 その「英語」が子どもをダメにするP69:榎本博明、青春出版社、2017