【1ページ目】2025年2月号 テレビドラマ「説得」親が輸血だめなら子どももだめ!?―医療ネグレクト
みなさんは、宗教上の理由で、輸血を拒む人をどう思いますか? 輸血自体にウイルス感染症などのリスクもあるため、たとえ輸血しなければ死んでしまうとしても、最終的には患者の自己決定権が優先されます。しかし、親が自分の子どもへの輸血を拒んでいる場合はどうでしょうか? そして、輸血しなければ死んでしまう場合はどうでしょうか?
今回は、医療ネグレクトをテーマに、かつてのテレビドラマ「説得」を取り上げます。このドラマは、実際の事件をドラマ化しており、そのやり取りにはリアリティがあります。そして、この輸血拒否に対しての学会の対応ガイドラインと2023年までに出された厚労省の指針もご紹介します。
さらに、輸血をどうするかという医療倫理としてだけでなく、子どもにはどうするかという「子育て倫理」としてもいっしょに考えてみましょう。
なんで輸血がだめなの?
主人公は荒木。脱サラして小さな書店を妻といっしょに営んでいます。3人の子どもにも恵まれ、ごく普通の家庭生活を送っていました。そんななか、ある日、2番目の子どもの健が交通事故に遭います。荒木夫妻は医師から複雑骨折をして出血多量であるため、輸血して手術をすれば助かると言われます。ところが、荒木夫妻は輸血を頑なに拒みます。荒木は「宗教上の問題です」「私たちの宗教は輸血を禁じているんです」と説明します。代わる代わるに医師たちが説得を試みるのですが、荒木夫妻は一貫して「輸血しないで手術してください」と懇願するのです。
別室での待機中、荒木夫妻は聖書の教えを唱え始めます。「あらゆる肉なるものの魂は、その血であり、魂がその内にあるから、いかなる肉なるものの血も食べてはならない。すべて、それを食べるものは断たれる」と。そして、妻が「私たちは委ねたんじゃない。あなたも私も健も、神の教えに従うって。それでいいって」と言います。荒木が「だけど、健にもしものことがあったら?」と戸惑っていると、妻は「分かってくれると思う、あの子は」と言い切ります。
そしてとうとう救急車で運ばれてから数時間後、健は、目の前に輸血の点滴が準備されている手術台の上で、輸血されることのないまま、手術されることのないまま、息を引き取ります。荒木夫妻が悲しみに暮れていると、中学生の長女が駆けつけてきて、「健ちゃんかわいそうよ。大丈夫よ。健ちゃんは天国に行って必ず復活するんだもの。永遠の命を授かるんだもの」とたしなめるのでした。
輸血拒否の論理は、血=命である。肉を食べることはできるが、その血は地に注いで神に返さなければならない。血を食べてしまうと、神から見放されてしまい、死んで天国に行けなくなるということです。そして、輸血も血を食べることになり禁じられます。ただし、自己血輸血や、主要成分ではないアルブミンや免疫グロブリンは受け入れる信者もいて、解釈が分かれています(*1)。
それにしても、苦悩しながらも自分の子どもの命よりも信仰を優先する言動には、あまりにも不合理に思われます。一方で、説得する医師の1人は「人間は信仰のためには死にもするし、殺しもするんです。今世界中で宗教上の違いから、どれだけの紛争や戦争が起こっているか」と述べ、理解を示そうとします。
このセリフから、信仰とはそもそも不合理なものであり、それを文化的に受け入れられているかどうかの問題であることが分かります。そして、文化的に受け入れられない場合、精神医学的には妄想と呼ばれます。つまり、信仰と妄想は紙一重であり、表裏一体であることも分かります。実際の画像研究においても、信仰(宗教体験)と妄想状態(統合失調症)は、同じ脳領域が過活動になっていることが分かっています(*2)。
なお、信仰と妄想の類似性の詳細については、以下の記事をご覧ください。