【1ページ目】2026年9月号 映画「かがみの孤城」【その5】なんで不登校になる子とならない子が「いる」の?- 差次感受性理論
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・同調性
・不登校の差次感受性モデル
・「同調遺伝子」
・セロトニントランスポーター遺伝子
・多遺伝子スコア
・「同調文化スコア」
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その1で、不登校になる子どもとならない子どもの根っこの心理の違いは、自我が弱いか強いか、つまり自分がないかあるかであると説明しました。
それでは、そもそもなぜこのような違いが「ある」のでしょうか? 言い換えれば、なぜ不登校になる子どもとならない子どもが「いる」のでしょうか?
今回(その5)は、不登校の増加の謎をテーマに、アニメ映画「かがみの孤城」を取り上げます。この映画の主人公であるこころと友達の萌ちゃんのキャラクター違いを通して、差次感受性理論の視点から、この謎に迫ります。
こころと萌ちゃんはもともと何が違うの?
こころがいじめをきっかけに不登校になったあと、いじめターゲットは、クラスメートの萌ちゃんに向けられていました。彼女は、こころと同じように悪質ないじめを受けますが、動じませんでした。この直接的な原因は、自分(自我)がないかあるかなのですが、さらにその根本的な原因は何でしょうか?
それは、周りへの敏感さ、つまり同調性という心理機能の感受性が考えられます。こころは、良くも悪くも同調圧力に「鋭い」のです。いじめに対して、過剰なストレスを感じてしまったのでした。一方で、萌ちゃんはこころと比べて良くも悪くも同調圧力に「鈍い」のです。いじめに対して、そこまでストレスを感じなかったのでした。
このように、人によって周り(環境)からの影響の受けやすさ(感受性)には違い(差次)があると考えられています。これを説明する理論が差次感受性理論です。これは、ランとタンポポの違いに例えられます。ランは温室で手厚く丁寧に育てないとなかなか花を咲かせませんが、咲くととても綺麗な花を咲かせます。一方、タンポポは、どこでも何もしないでも勝手に育ち花を咲かせますが、咲いたその花はそこそこ綺麗です。つまり、環境からの影響の受けやすさにおいて、ランは高くタンポポは低いという違いがもともとあると言えます。
なお、差次感受性理論は、HSP(いわゆる「繊細さん」)と関係づけられることがあります。しかし、HSPは感受性の範囲(領域)やその定義が明確ではないため、この記事では割愛します。この記事では、同調という特異的な感受性の範囲に限定します。
もしもこころが昭和の時代に生まれ育ったとしたら?
こころだけでなく、不登校になる子どもは令和の時代にますます増えています。それでは、もしもこころが昭和の時代に生まれ育って中学生になっていたとしたら、どうなるでしょうか?
その1で説明した通り、個人主義化した令和の時代と違って、昭和の時代は戦後しばらく封建的な価値観が根強い集団主義がまだ残っていました。その環境では、こころは、不登校になっていないでしょう。たとえ令和の時代よりももっと悪質ないじめがあったとしてもです。
その理由は、両親だけでなく、祖父母、親戚、近所の人たちも含めた大人全員から口を揃えて「学校に行きなさい」とはっきり言われるからです。母親は、こころが学校に行かないようなら「生きていけないよわ」「疫病神になる気?」などと嫌味を言うでしょう。父親は、怒鳴ったり暴力を振るうかもしれません。これらは、相手が家族や親戚であるだけに、クラスメートによるいじめよりもさらに強い同調圧力です。つまり、こころのように自分(自我)がないということは、周りの全員から強く言われると、言いなりになりやすいということです。この「全員」がポイントです。なぜなら、同調は全員が揃わないと完全には機能しないからです。
こころ自身も、大人になって養ってもらえる保証がないため、学校に行かなければ自分が困ることを理解するでしょう。これが、この時代の社会の空気でした。
そして、そんな子どもは大人になると、女性なら同居する姑にいびられながらも、我慢強く家事や子育て、さらには介護をしていたでしょう。男性なら遅くまで残業をして日本の経済成長に大きく貢献したでしょう。これらは、日本人の集団内での他者配慮、勤勉性、忍耐力、そして自己犠牲であり、当時の価値観としてはとても望ましいものでした。
つまり、こころのように同調への感受性が高い子どもは、このような同調的な環境ではむしろとても適応的であったことが想定できます。彼らにとって、かつての同調的な文化は、差次感受性理論の横軸の「環境の質」としては高くなります。この環境ではとても大きな「花」を咲かせていたことになります。
一方で、個人主義化した令和の社会では、このような生き方はまったく受け入れられません。「学校に行きなさい」と強要することは、心理的虐待と指摘される可能性すらあります。そして、不登校からひきこもっても、そのまま親が面倒を見ることができるほど経済的には豊かになりました。つまり、こころのように同調への感受性が高い子どもは、逆に令和の同調的ではない環境では不適応になってしまうことが想定できます。差次感受性理論の横軸の「環境の質」としては低くなります。この環境ではもはや「花」を咲かせられなくなったのでした。
ちなみに、萌ちゃんの場合は、昭和の時代であっても、令和の時代と変わらず、不登校にはならないでしょう。その理由は、自分(自我)があるので、周りがどうであってもあまり変わらず、自分なりでやっているからです。ただし、大人になると、こころほど子育てや介護を献身的にせず、男性なら自己犠牲をせず、そこまで周りに合わせることはしないでしょう。つまり、萌ちゃんのように同調への感受性が低い子どもは、昭和の同調的な環境であっても、令和の同調的ではない環境であっても、同じようにそこそこ適応的であったことが想定できます。どちらの環境であっても、差次感受性理論の横軸の「環境の質」としては高くも低くもなくもなく、そこそこの「花」を咲かせることになります。
以上より、昭和の時代には不登校が少なかったのに、令和の時代に不登校がますます増えている原因を説明することができます。






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