【1ページ目】2026年10月号 映画「かがみの孤城」【その6】不登校への取り組みのラストピースとは?- 扶養の期限設定

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・個人主義的な子育て
・集団主義的な子育て
・同調への感受性の「スイッチ」
・家庭内の個人主義化の遅れ
・「不登校リスクスコア」
・勤労の義務
・大人の関係
・セーフティネット
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その5では、差次感受性理論の視点から、不登校になる子どもとならない子どもが「いる」根本的な原因は、日本の社会が同調的ではなくなった(個人主義化した)ことで、同調への感受性の高い(自我が弱い)子どもは、もはやその同調という刺激を得られずに「言いなり」になれなくなったからと説明しました。そのような子どもが不登校になります。一方で、同調への感受性の低い(自我が強い)子どもは変わらず「自分なり」のままだからと説明しました。そのような子どもは不登校にはなりません。


>>【その5】なんで不登校になる子とならない子が「いる」の?- 差次感受性理論

それでは、不登校にどうすればいいでしょうか? かつての昭和の時代のように、周りの全員が口を揃えて「学校に行きなさい」と言って、同調的な文化(集団主義)を復活させればいいでしょうか? 明らかにそれは不可能です。令和の時代の社会の価値観は、そこまで変わってしまいました。

今回(その6)は、個人主義化してしまった令和の時代の社会を踏まえて、不登校への対策をテーマに、アニメ映画「かがみの孤城」を取り上げます。この映画の主人公であるこころと友達の萌ちゃんの家庭環境の違いをヒントに、不登校への取り組みのラストピースをご提案します。

こころと萌ちゃんの家庭環境の違いは?

まず、こころと萌ちゃんの家庭環境の違いを具体的に挙げてみましょう。

①こころの家庭環境

こころの母親は、当初こころに「(学校に)行くの?行かないの?」とプレッシャーをかけていましたが、その後はこころが学校に行かなくても、心配しつつ仕事に出かけ、様子を見るだけです。また、母親が家の掃除をする時、「こころ、掃除いい?」「どうする?」とこころの部屋の掃除をしてあげようとします。一応どうしたいか聞いており、結果的にこころは「自分でやる」と言いますが、自分のことは自分でやるというルールは最初からありません。

こころは、他のメンバーへのお誕生日プレゼントを自分の財布から支払っています。一方で、母親といっしょに買い物に行った時、雑貨売り場の前でこころが便箋を見て「かわいい」とつぶやくと、母親は「買う(買ってあげようか)?」と言います。こころが「あと、コンビニにも寄っていい? お菓子買いたいの」と言うと、母親は「いいよ(買ってあげるよ)」と言います。何気ない会話ですが、よくよく考えると、お小遣いがあるにもかかわらず、母親が欲しいものを買ってあげてしまっています。母親としてやさしさを見せたつもりなのは分かりますが、そうしてしまうと、欲しいものが手に入るかは親の裁量や気分によって左右されてしまうため、子どもは自然と親の顔色をうかがってしまいます。

父親は、母親と同じく様子を見るだけです。原作では、こころが不登校になった当初、一方的にゲーム機を取り上げてしまったと説明されています。ゲームの時間制限のルールはなく、実は「父親がルール」になっています。

こころの家庭は、両親が共稼ぎの、ごく一般的な家庭として描かれていますが、同時にこのような家庭環境は、実は同調を促すかかわり方、つまり集団主義的な子育てをいまだにしていることになります。逆に言えば、特に自立を促すかかわり方をしていないことになります。

②萌ちゃんの家庭環境

一方、萌ちゃんの家庭は、父親が児童文学を研究する大学の准教授で、こころが萌ちゃんの本を借りられるくらい、専門分野の蔵書がたくさん棚に並べられています。家の廊下の壁には海外の童話の原画が飾られています。

萌ちゃんがこころを家に招いた時、たまたま買ってきた味の違う2つのカップアイスを差し出し、「どっちがいい?」とさりげなく聞くシーンがあります。些細なことですが、相手に選択の自由を与えています。こころだったら、萌ちゃんを家に招いたとしても「これ、いる?」と聞くくらいで、何となくその場の雰囲気でどちらかのアイスをあげているでしょう。このような萌ちゃんの立ち振る舞いからも、萌ちゃんの両親は直接的には映画では登場していませんが、同じように萌ちゃんにどうしたいかを選ばせて、本人に任せるかかわり方をしているでしょう。

このように、萌ちゃんの家庭は、知的水準は高く、最初から自立を促すかかわり方、つまり個人主義的な子育てをすでにしていると考えられます。

もしもこころが萌ちゃんの家で生まれ育ったとしたら?

それでは、もしもこころが萌ちゃんの家で生まれ育ったとしたら、どうなるでしょうか?

こころは不登校になっていない可能性が考えられます。その理由は、萌ちゃんの家庭環境では、こころが幼い頃から自立を促すかかわり方をするからです。逆に言えば、これは同調を促すかかわり方をしないということになります。すると、こころの同調の感受性は最初から刺激されないため、その5で説明した3つの「同調遺伝子」が遺伝形質として発現されない、簡単に言えばこの遺伝子が働く「スイッチ」が押されずに、同調への感受性は高くならなくなります。

なお、自立を促すかかわり方をすれば、同調への感受性がどの程度高くならないか(低いままか)については、現時点では不明です。ただ、エピジェネティックスの観点から、ビッグファイブなどのパーソナリティ特性(性格)の遺伝率は概ね約50%であることを参考にすると、残りの50%の環境によって、同調への感受性の「スイッチ」も入るかどうかが左右されると推定されます。

エピジェネティックスの詳細については、以下の記事をご覧ください。


>>★【エピジェネティックス】

ちなみに、逆に萌ちゃんがこころの家庭環境で生まれ育ったとしたら、どうなるでしょうか? やはり萌ちゃんは不登校にはならないでしょう。なぜなら、たとえ同調を促すかかわり方をされても、萌ちゃんは同調への感受性がもともと低い子どもであるため、そもそもその「スイッチ」がないからです。

なお、この点で、同調への感受性の家庭環境の違いの影響度は、パーソナリティ特性と同じようにほぼ0%と算出されるでしょう。その原因は、家庭環境の違い(同調的な家庭環境)が、こころにも萌ちゃんにも等しく影響を与えるわけではなく、同調への感受性という特定の遺伝子を持つ子ども(こころ)にだけ影響を与えているからです。この相互作用は、厳密には遺伝の影響(遺伝率)として算出されます。