【3ページ目】2026年10月号 映画「かがみの孤城」【その6】不登校への取り組みのラストピースとは?- 扶養の期限設定
なんでラストピースが大人になったら家を出るよう伝えることなの?
それでは、そもそもなぜラストピースが大人になったら家を出るよう伝えることなのでしょうか? 子どもと親の視点にそれぞれ分けて、その効果を挙げてましょう。
①子どもへの効果
子どもへの効果として、学校は、もはや「行きたいかどうか」という場所ではなく、数年後の大人になった自分のために「行く必要があるかどうか」という場所であるという認識に変わっていくでしょう。確かに、これは子どもにとってストレスになりうる働きかけです。しかし、このストレスがあるからこそ、自我の芽生えを後押しすることができます。親は、無重力状態でいつまでも宇宙遊泳し続ける子どもをただ「見守る」のではなく、地球に帰り地に足の着いた生き方をすることに気づかせる役割があります。
たとえ不登校の子どもであっても、このメッセージをはっきり伝えることで、冒頭のシーンのこころのようにただ家でぼうっとテレビを見て、あとは寝ているだけではなくなります。こころだったら、「このままの生活がずっと続くことはない」と理解できるので、学校にはいじめっ子がいるから行けないとしても、代わりにフリースクールや塾に行って勉強して、高校に行こうと思うはずです。いきなり「自分なり」にはなれなくても、「自分なり」になるために、とりあえず「言いなり」にはなれます。少なくとも、これでひきこもりは予防できるでしょう。
逆に言えば、これがないと、その後に続くひきこもりになるのをただ黙認するだけになります。そして、ひきこもりが慢性化してしまったら、彼らは全力でその生活を守ろうとするため、もはや「家を出る」という取り組みは不可能なります。永遠の宇宙遊泳に安住してしまうのです。
ここで、親としては大人になったからと言って「家を出る」のではなく、「家を出ないで、稼いだお金を家に一部納める」と伝えるだけで十分ではないかという意見もあるでしょう。確かに、実際にそうしている家庭は多いでしょう。しかし、不登校を予防または治療する観点としては、これは危うく、不十分です。なぜなら、けっきょく同居し続けるという状況は変わらないので、「このままの生活がずっと続くことはない」という刺激(ストレス)を生み出すことができないからです。
なお、扶養の期限設定の取り組みをしても、不登校の状況が変わらない場合、精神障害が併存している可能性があるため、医療機関や専門機関で相談する必要があります。
②親への効果
親への効果として、子どもはいつまでも子どもではない、親はいつまでも親ではない、つまり、親であることには終わりがあるという認識に変わっていくでしょう。一方、親の本音としては、「それは寂しい」「いつまでも子どもといっしょにいたい」と思っているはずです。この発想は、かつての集団主義の文化の名残りでもあります。日本は三世代で同居する家族(直系家族)の形が戦後しばらくまで多く、その感覚が現在の親世代にまだ残っているからであることが考えられます。なお、日本の直系家族の歴史の詳細については、以下の記事をご覧ください。
しかし、時代は変わってしまいました。子育てのあり方も変わる必要があることを理解する必要があります。
そもそも、個人主義の国をはじめ世界のほとんどの国で、この扶養の期限設定をすることはごく当然とされています。また、昭和までの日本でも長男以外の全ての子どもに対して、この扶養の期限設定をすることはごく当然とされてきました。逆に、現在の日本が、少子化とあいまって特殊な状況に陥っているとも言えます。
あえてこの「大人になったら家を出るよう伝える」という宣言をすることで、子どもの親離れ(自我の芽生え)だけでなく、親の子離れを後押しすることができます。そうすることで、こころの母親だったら何かを買ってあげてただやさしくするのではなく、こころの父親だったら一方的にゲーム機を取り上げてただ厳しくするのではないことを理解できるようになります。そして、子どもが18歳になった時、親として子どもに何ができるのか、そして何ができないのかという線引き(限界設定)も理解できるようになります。
よって、もしも子どもが不登校から本当にひきこもりになって18歳を迎えた場合、宣言通り、親は子どもに引っ越すための費用を最後の特別な「お小遣い」として渡します。こうして別居(世帯分離)という形を取ったうえで、役所に行って生活保護を申請することが可能になります。世帯分離が必要な理由は、日本の民法において同居している場合は、成人した子どもでも親に扶養義務が生まれてしまうからです。
なお、誤解がないようにしたいのは、この記事で、生活保護を特に推奨しているわけではありません。この記事で協調したいのは、生活保護というセーフティネットがあることを親子の共通認識として持ち、親が子どもにそれくらいの距離感を見せることで、逆に子どもは不登校から早くに脱してひきこもりにならずに自立して、生活保護にもならないという望ましい結果が得られることです。そして、子どもが18歳になったら親はもう責任を取らなくて良いと心の底から割り切れるようになり、真に子どもに「好きなことをさせる」ようになるという結果が得られることです。
現実的には、現在の日本で生活保護などの公的扶助が行き渡っているにもかかわらず、親は子どもが成人しても必要なら扶養すべきだという「扶養圧力」は世の中にはまだ一部であります。このような主張も、また集団主義の文化の名残りの1つです。ただ、個人主義化している日本の社会ではこのような考え方は今後ますます少数派になっていくことが予測されます。個人主義の文化では、いろんな人がいろんな意見を言います。そこで大事なのは、私たち一人ひとりがけっきょく自分としてどうしたいかという「自我の強さ」です。よって「扶養圧力」に対して、親としてはそれはそれで1つの意見として聞き流し取り合わないという同調の感受性の低いリアクションに徹することが望ましいでしょう。
なお、子どもが経済的に自立しているなら、親子が大人の関係として合意して同居する選択肢はもちろんあります。また、「スープの冷めない距離」に住むという選択肢ももちろんあります。この点で、大人になったら家を出るという取り組みは、あくまで子どもが不登校にならず、ひきこもりにならず、自立をするための親の一世一代の「ポーズ」であると受け止めることもできるでしょう。






ページトップへ