連載コラムシネマセラピー

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【2ページ目】2022年10月号 映画「心のカルテ」【後編】なんでやせすぎてるって分からないの?【エピジェネティックス】

やせになる3つの「細胞の記憶」とは?

ここから、やせになる代表的な3つの「細胞の記憶」(エピジェネティックな変化)をあげて、やせの正体を突き止めてみましょう。

①代謝メモリー

グループホームのメンバーのメーガン(神経性やせ症の排出型)は、妊娠しましたが、食べ吐きをやめられずにやせすぎて、けっきょく流産してしまいました。ここで、もしも彼女が何とか無事に出産したらどうなるでしょうか? 生まれた子どもは、胎児期に栄養不足であったために、低出生体重児として生まれ、その後に小柄(低身長)になることが考えられます(*4)。それでは、この子の食行動や代謝はどうなるでしょうか?

1つ目は、代謝メモリーです。これは、特に胎児期の栄養状態(栄養環境)が「細胞の記憶」として刻まれ、成人期の代謝能力に影響を与えることです。つまり、胎児期に栄養不足だと、その後に代謝が節約されるような体質になることです。よって、ダイエットをすれば(栄養不足になれば)、それに順応しやすいので、やせになります。その一方で、裏を返せば太りやすい体質であることから、ダイエットをしていなければ、つい食べてしまい肥満にもなります。つまり、この代謝メモリーによって、少食(やせ)か過食(肥満)かの両極端になりやすくなることが分かります。

実際の疫学調査によると、第二次世界大戦でのオランダの飢饉があった時期に生まれた人たちは、成人してから肥満が著しく高かったことが分かっています。なお、生まれてすぐではなく、成人してから肥満になるというタイムラグがあるのは、子どもの時期は食行動(食習慣)が親によってある程度コントロールされていたことも考えられます。

ただし、胎児期に栄養不足だったために実際に生まれた子どもが摂食障害や肥満になるという状況は、実際には少ないようです。その理由は、行動遺伝学において、神経性やせ症、神経性過食症、そして肥満における胎児環境(家庭環境)の違いの影響が0%であるからです。この解釈として、そもそも胎児期に栄養不足になるくらいなら始めから無月経となり妊娠できないからです。妊娠前に栄養が保たれていて妊娠後に栄養不足になるのは、ある時を境に起こる飢饉や食べ吐きをしたりしなかったりするメーガンのような極めて特殊な状況であると考えることができます。

ちなみに、マウスの実験では、胎児期に栄養過多(妊娠糖尿病など)であった場合でも、逆の太りにくい体質になるわけではなく、栄養不足である場合と同じように太りやすいことが分かっています(*5)。必ずしも代謝が「浪費」されるような真逆の体質にならないのは、私たちの体が、常に飢餓との隣り合わせの原始の時代に適応するように進化しており、常に飽食で溢れる現代の社会に完全に適応するまで進化していないからであることが考えることができます。

代謝メモリーによるやせと肥満の両方へのなりやすさは、食料確保が安定している現代では、結果的に肥満のリスクを高めるだけで、もちろん適応的ではありません。しかし、食料確保が不安定な原始の時代においては、不足している時期はやせてしのいで、過剰な時期は肥満になってため込むことできるため、むしろ適応的であったと言えるでしょう

なお、やせ(栄養不足)で無月経になる、つまり一定レベル以上の栄養状態(栄養環境)でなければ、生殖活動は抑制される現象は、実際に多くの哺乳類で見られます。これは、適応的生殖抑制と呼ばれています(*6)。そのわけは、オスと違ってメスは妊娠から授乳までの一連のプロセスが一大ライフイベントであり、膨大なコストがかかる点で、栄養の確保が不可欠であるためです。だからこそ、メーガンは流産したのだととらえることもできます。そもそも初潮をはじめとする二次性徴は、栄養不足だと現れません。まさにエレンのように小柄で子どものような体型のままになります。

従来から精神医学で指摘されてきた神経性やせ症の独特の成熟拒否という心理状態は、この成熟拒否があるからやせようとすると考えられてきました。しかし、生物学的に考えれば、逆です。やせすぎた結果、生殖抑制が働いてしまい、無意識に成熟拒否をするという心理状態になってしまったととらえ直すことができます。

②愛着メモリー

エレンは、義母をはじめ多くの人に暴言を吐き、あまり心を許していません。お互いに好意を寄せる相手であるルークからキスをされても素直に受け止められません。そんな状況の中、エレンの実母から、エレンを生んでから「産後うつ」になり、ちゃんと面倒を見てあげられなかったと打ち明けられます。

2つ目は、愛着メモリーです。これは、乳幼児期の愛着関係(保護環境)が「細胞の記憶」として刻まれ、成人期のストレス耐性に影響を与えることです。つまり、乳幼児期の抱っこやスキンシップが十分にされていないと、その後にストレスに過敏になることです。これは、親から守られていない(ストレスに曝されやすい)ため、早くから危険(ストレス)を察知して自分で逃げたり攻撃して、危険な生活環境を生き残る能力でもあります。さらに、この愛着メモリーによって、ダイエットによる減量の刺激(栄養不足のストレス)にも過敏になり、先ほどご説明した適応的生殖抑制が働きやすく(よりやせやすく)なります

実際に、古くからあるラットの実験(アクティビティモデル)でも確かめることができます(*7)(*8)。これは、ラットに決まった時間だけ少しエサを与え、それ以外の時間は回し車(活動を促す装置)に乗せることです。すると、ラットは、エサを食べる量が減ってしまう一方で運動量が増えてしまい、最終的に消費カロリーが摂取カロリーを上回って餓死します。これは、神経性やせ症の動物モデルです。そして、この傾向は、早期に母子分離したメスのラットほど早くて顕著であることが分かっています。

畜産学では、もともと低脂肪種になるように交配したメスの子豚は、早く母子分離をさせられ新しい集団生活に入れられると、低カロリーのわらだけ食べて動き回ることが広く知られています。この状態は「雌豚やせ症」と呼ばれています(*3)(*8)。これも、神経性やせ症の動物モデルと言えるでしょう。

ただし、乳幼児期の愛着形成がうまく行っていなかったためにその後にその子が摂食障害になるという状況は、実際には少ないようです。その理由は、行動遺伝学において、神経性やせ症、神経性過食症、さらには肥満における家庭環境の違いの影響が0%であるからです。この解釈として、やはり摂食障害の原因は複合的であり、愛着の問題は他の原因よりも相対的に小さいと考えることができます。

愛着メモリーによるストレスへの過敏さ(ストレス耐性の弱さ)は、平和な現代社会においては、人間関係をこじらせたり、心や体の病気のリスクを高めて寿命を縮めるため、もちろん適応的ではありません。しかし、常に危険な原始の時代においては、人間関係や長生きが現代ほど当てにならないため、生まれた時に守られていないならストレスを敏感に感じるという反応がある方がその瞬間を生き抜くためにむしろ適応的であったと言えるでしょう。

③社会性メモリー

エレンは、唯一仲良くやってきた妹(異母妹)から「食べない理由を聞いてもまともに答えてくれない」と詰め寄られます。しかし、それでも平然と「コントロールできる」「悪いことは起こらない」としか答えません。エレン自身、なぜ食べられないのか自分でもよく分かっていないようです。もはや理屈ではない何かに突き動かされているように見えます。それは何でしょうか?

3つ目は、社会性メモリーです。これは、思春期までの生活スタイルが「細胞の記憶」として刻まれ、成人期のアイデンティティ(社会適応能力)に影響を与えることです。つまり、人間関係のあり方をはじめ、思春期までにどう生きてきたかが、その後の自分らしさとして固まってしまうことです。例えば、それは、外向的か内向的か、協調的か反抗的か、親分肌か子分肌かなどの様々な性格の違いでもあります。現代にしても原始の時代にしても、成人後に社会でどんな生き方をする(役割を果たす)かは、思春期までの生き方(人間関係)で形づくられています。だからこそ、行動遺伝学でのどの性格(ビッグファイブを含む)の遺伝率も50%程度なのです。残りの50%である環境の影響が、社会性メモリーによるものであり、エピジェネティックな変化であると言えます。

なお、このような社会適応能力としての性格の詳細については、以下の参考記事をご覧ください。


>>【社会適応能力としての性格】

さらに、この社会性メモリーによって、栄養不足(やせ)になるという生活スタイルを「やせアイデンティティ」として固定化させてしまう可能性が考えられます。例えば、エレンは、やせたまま社会復帰しつつ、味方になってくれている妹が将来的に子どもを産んだら、その子育てを助けることです。つまり、この社会性メモリーによって、やせ(適応的生殖抑制)は維持されつつ、社会の一員として生きて、血縁者のサポート役(血縁ヘルパー)になることができます。これは、血縁者を助けることによって、間接的に子孫を残すことであり、結果的に生殖の適応度をある程度保つ生殖戦略です(*9)。

この生殖戦略は、社会性昆虫であるミツバチでも確認できます。ミツバチが働きバチではなく女王バチになるのは、遺伝子が違うからではなく、幼虫の時にローヤルゼリーを与えられ続けてエピジェネティックな変化が起きたからであることが指摘されています。この変化によって、女王バチはどんどん卵を産んでいく一方、働きバチは卵巣が縮小してしまい生殖能力を失います。 しかし、働きバチ(娘)は、女王バチ(母親)をサポートして、自分の妹(※ミツバチのオスが生まれるのはもともとごくわずか)が生まれることで、自分の遺伝子を部分的に残しています(包括適応度を高めています)。つまり、働きバチも、神経性やせ症の動物モデルと言えそうです。もちろん、 人間の社会は、ミツバチの社会より遥かに複雑である分、そのエピジェネティックな変化(性格形成)も多様であると言えるでしょう。

社会性メモリーによる「やせアイデンティティ」は、飽食の現代社会においては、早死にするリスク、子どもをつくれないこと、そして見た目が目立つため、決して適応的ではありません。しかし、常に食料不足の原始の時代においては、そもそも長生きできず、やせているのが当たり前です。そんな中、運悪く飢餓状態が長く続いた女性が、適応的生殖抑制を慢性化させ(神経性やせ症になって)、食事量を少なくして、その食事の分を妊娠可能な(適応的生殖抑制が働いていない)血縁者に回すことは、部族(血縁集団)の存続としてはむしろ適応的だったと言えるでしょう。

なお、エレンは、長らく生理がないくらい栄養不足なのに、逆に取り憑かれたように腹筋運動をしてカロリー消費をしようとしていました。この過活動の原因については、単純にやせていたいと本人が意識的にやっているというよりも、無意識にやっていることが考えられます。その根拠として、過活動を抑える抗肥満ホルモン(レプチン)を分泌する脂肪細胞が減ることで、結果的に過活動が促されることが分かっているからです(*7)。さらに進化の視点で見れば、これは過活動によって食料を探し回ろうとする体(脳)の反応ととらえることができます。それでも、見つけた食料を自分が食べるわけではないので、まさに「働きバチ」と言えるでしょう。

★グラフ1 やせになる「細胞の記憶」