連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【1ページ目】2024年2月号 映画「かがみの孤城」【その3】この城が答えだったんだ!-不登校への学校改革「かがみの孤城プロジェクト」

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・目的
・評価
・距離感
・「工場型一斉授業」
・飛び級・「留級」
・グループワーク
・ブレンディッド・ラーニング
・「不登校特例校」
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前々回(その1)では、不登校の心理を掘り下げ、学校にしてもフリースクールにしてもただ居場所であるだけでは不十分である理由をご説明しました。


>>【その1】けっきょくなんで学校に行けないの?-不登校の心理

前回(その2)では、不登校へのペアレントトレーニングを紹介し、家で子どもに好きなことをさせるだけでは不十分である理由もご説明しました。


>>【その2】実は好きなことをさせるだけじゃだめだったの!?-不登校へのペアレントトレーニング

それでは、これらを踏まえて、なぜこころたちは城には通えているのでしょうか? つまり、学校とこの城との違いは何でしょうか?

今回(その3)も、不登校をテーマに、アニメ映画「かがみの孤城」を取り上げます。この映画を通して、これからの学校に必要な機能を明らかにします。そして、「かがみの孤城プロジェクト」と勝手に名づけ、不登校を解決するための抜本的な学校改革をご提案します!

さらに、いきなりの改革に戸惑いや抵抗を感じる関係者の方々に考慮して、このプロジェクトをスムーズに進めるための第一歩を最後にご提案します。

なんで城には通えているの?

こころは、フリースクールにさえ行けなかったのに、他の6人と同じように、城にはほぼ毎日、自分から通うようになります。なぜでしょうか? ここから、学校やフリースクールになくて城にあった、ある「仕組み」を主に3つあげて、その理由を考えてみましょう。

①願いを叶えるという目的がある―自我を育む

こころたちが城に運ばれた時、狼の仮面をかぶった謎の案内人の女の子が、城に隠された鍵を探し出せば、願いが叶うことを伝えます。さらにその子は、「夢がないなあ、おまえたち。物語の主人公に選ばれたって思わないのか」「おまえたち、願いごとってないの?」「まあ、ないならないで構わないが」と言って煽ります。

1つ目の仕組みは、願いを叶えるという目的があることです。これが、こころたちが城に通うようになった一番の理由です。こころの当初の願いごとは、「真田さん(いじめグループのリーダー)がいなくなってほしい」という短絡的で自己中心的なものでした。現実的には、その「真田さん」がいなくなったとしても、思春期の集団心理のなかですぐに第2の「真田さん」が現れるので、本当に願いが叶うわけではありません。それでも最初はそれで良いのです。結果的に、城に通うようになったからです。そして、城という「学校」に通うなかで、彼女の願いごとが「自分のため」から「大切な誰かのため」、つまりより社会的な自我(アイデンティティ)を育むものに変わっていったからです。

この願いごとを叶えるとは、大人になって社会で自分が望むように生きていくこと、つまり自我同一性(アイデンティティ)の確立と言い換えられます。これは、案内人の女の子の言うところの「夢」であり、人生という「物語の主人公」になることです。

一方で、現実の学校はどうでしょうか? 学校に行くのは、大人になって社会でどう生きていくかを学ぶという本質的な目的よりも、より偏差値の高い高校、より有名な大学に合格するという目先の目的になっています。もちろん、学校としても、それを親(社会)が望むことを忖度しているからです。

けっきょく、親だけでなく、学校も、自分の人生に責任を持つ必要があるという思春期に達成するべき一番の目的を軽視していることが分かります。

②先に鍵を見つけられるかという評価がある―自信を育む

謎の案内人の女の子は、「今日から来年の3月30日までにその鍵を探し出してもらわねばならない」「要は早い者勝ちだ。誰かが鍵を見つけて願いを叶えたら、その時点でゲームオーバー」と言います。するとその後に、彼らはお互いに隠れてその鍵を必死に探すようになっていたのでした。

2つ目の仕組みは、先に鍵を見つけられるかという評価があることです。これは、競争原理であり、城になるべく通う動機づけになっています。そして、自分こそが探し出すという自信を引き出します。もはや、そうしなくてもいいのにそうさせてもらえる点で、義務ではなく権利になります。なお、ちょうど3月という年度替わりが期限になっており、進級を象徴しているようでもあります。

一方で、学校はどうでしょうか? 学校でも成績表という評価は存在しますが、ただ存在するだけです。その成績をもとに、達成度別のクラス分けをすることはありません。授業に出席していなくても、小学校や中学校は自動的に進級します。高校進学は基本的に一発勝負であるため、学校の成績表は軽視されます。保健室やフリースクールへの登校で出席扱いにできる措置もあり、高校への進学の内申点にあまり影響がないように配慮されている場合もあります。

つまり、何を学んだかという中身よりも、とりあえず学校(またはフリースクール)に来る、そして教室に座っているという形式に重きが置かれています。もちろん、学校としても、それを親(社会)が望むことを忖度しているからです。

けっきょく、学校は、配慮を優先して、達成しなかったら認めないという評価を避けてしまっていることが分かります。