【2ページ目】2025年1月号 映画「クワイエットルームにようこそ」【その3】実はこれが医療保護入院を廃止できない諸悪の根源だったの!?―扶養義務
②家族の義務として必要だと社会が思っているから
現代は、核家族化しており、子どもは成人したら家を出て、親と別居することが多いです。それでも、その子どもに何か問題が起きたら、職場やアパート管理会社などから救急連絡先として親に連絡が行きます。このように、まず親が解決すべきであるとの社会からの圧力があります。この感覚から、子どもに障害があれば、たとえ成人していても、親のせいにされます。つまり、社会的には、親も「親扱い」され続けます。
2つ目の理由は、社会が家族(親)に責任があり、義務として必要だと思っているからです。強制入院させるかどうかを決めるのは、親の義務である、だからこそ強制入院に家族の同意を得るのは当然と考えます。そして、入院費を支払うのも当然の義務と考えます。
逆に、医療保護入院制度が廃止されたら、どうなるでしょうか? 例えば、映画に登場していた摂食障害の患者たちが、入院中せずに親と同居または別居している時、万が一死んでしまったら、家族がその責任を親族や世間から問われるでしょう。少なくとも、そう思い込んでいる家族は多いです。一方で、強制入院させていたら、より管理されているため、死亡リスクは低くなる上に、たとえ死亡したとしても、専門的な治療をしても難しかったととらえられ、少なくとも家族の責任は免れます。
そもそも、摂食障害で体重を減らすことは、アルコール依存症で飲酒をやめないこと、もっと言えば宗教上の理由で輸血拒否をすることと本質的には同じ、つまり本人の生き方(嗜癖)の問題です。 治したくないなら、本人の生き方として、死亡リスクも含めて、親ではなく本人がその責任を取るだけの話です。そして、その問題に向き合い、本人が治したいと決意するなら、任意入院すればいいだけの話です。そのはずなのに、それを家族や社会が放って置けないのです。
ちなみに、有名人が問題を起こした時、その家族が謝罪会見をしたり、メディアがその家族の家にレポート取材をする風習は、日本独特です。世間に迷惑をかけたら、家族のせいにもされてしまう文化があります。
③家族の義務として必要だという社会に国が合わせているから
実は、2009年の民主党(当時)政権では、国連の障害者権利条約に批准するにあたって、家族(保護者)の同意による強制入院をなくすことが検討されていました。ところが、その後に自公政権が返り咲いたことで、家族の同意をなくすのではなく、逆にそれまでにあった同意する家族の優先順位をなくしてしまい、本人の強制入院に家族が誰でも同意できるように改悪をしてしまったのでした(*2)。そして、だからこそなおさら国連から改善勧告を受けるという始末になってしまったのでした。なぜ自公政権はそこまでしたのでしょうか?
3つ目の理由は、家族の義務として必要だという社会に国が合わせているからです。自民党や公明党は、保守政党であるだけに、これまでの家族同意の権利や義務を重んじる保守的な民意を汲み取るでしょう。これは、介護や育児と同じく、なるべく家族に丸抱えさせようとする考え方です。もちろん、一大巨大産業である精神科病院の団体のロビー活動の影響も大きいでしょう。
逆に、医療保護入院制度が廃止されたら、どうなるでしょうか? 医療保護入院による医療費を大きく削減できるというメリットはあります。一方で、その分の入院患者がいなくなってダウンサイジングを余儀なくされる精神科病院とその患者を家で抱え込む家族は国に不満を抱くでしょう。また、その患者たちが戻ってきた地域社会では、治安が不安定になると懸念されるでしょう。少なくとも、そう思う保守的な人は多いでしょう。さらには、厚生労働省の天下り先の1つである強制入院ビジネスがなくなってしまうと懸念されている可能性も考えてしまいます。
ちなみに、保守政党である自公政権だからこそ、国民の6割が賛成している選択的夫婦別姓の法整備にも積極的に動こうとしないことも分かります。