【2ページ目】2025年11月号 映画「エクソシスト」【その1】どうやって憑依するの?-「ニューラルネットワーク分離作動説」
どうやって憑依するの?-「ニューラルネットワーク分離作動説」
憑依の特徴とは、自分をコントロールできない(トランス)、憑依されたものになりきる(憑依アイデンティティ)、宗教儀式に誘導される(暗示)であることが分かりました。このような憑依の状態は、精神医学では、憑依トランス症と診断され、解離症の1つと分類されています。それでは、どうやって憑依するのでしょうか?
脳科学の視点から、憑依のメカニズムは、同じく解離症に分類される記憶喪失や腰抜けのメカニズムを発展させて解き明かすことができます。そこで、まず記憶喪失と腰抜けのメカニズムを理解する必要があります。この詳細については、以下の記事をご覧ください。
記憶喪失と腰抜けのメカニズムは、ローカルスリープという概念を使って、「解離=ローカルスリープ」説を提唱して、解き明かしました。ただし、この仮説は、意識から特定の精神機能または身体機能だけが分離して不活性化する病態のメカニズムを説明することができますが、意識から精神機能や身体機能が分離して逆に活性化する憑依のメカニズムを説明することはできません。それではさらに、このメカニズムをどう説明すればいいでしょうか?
これは、統合情報理論を使って説明することができます(*2)。この理論を簡単言うと、意識とは、脳のある部位で生まれるのではなく脳全体のネットワークで生まれる、つまり脳内のニューラルネットワーク(神経のつながり)の情報が統合される状態であるということです。逆に言えば、意識とは、まさに私たちが実感しているような1つの魂という存在として体に宿っているわけではなく、脳がつくり出している世界をただ「見ている」にすぎないことになります。つまり、意思決定は、意識による「独裁政治」(トップダウン)ではなく、脳全体の活動のせめぎ合いの調整(統合)による「民主主義」(ボトムアップ)であるということになります。
例えば、これがうまく行かなくなったのが、分離脳です。分離脳とは、左右の大脳半球をつなぐ部位である脳梁を、難治性てんかんの治療として切断(分離)した脳の状態を意味します。分離脳になると、完全に切り離された左右の大脳半球が独立して見聞きすることができます。さらに、「他人」の手のように勝手に物を取ろうとしている片方の手を、もう片方の「自分」の手が押さえ込んで、もみ合いになってしまう病態(エイリアンハンド症候群)になることがあります。これは、脳梁の部位でのネットワークが途切れてしまったために、連携のアルゴリズムがうまく働かなくなってしまったと説明することができます。
このアルゴリズムは、ちょうどSNSのアドワーズ広告がユーザーの検索ワードの傾向などの情報に合わせて広告を自動的に表示するのと同じように、脳が外界刺激に最適化された反応をしていると言えます。
このような意思決定をする意識の時間的な連続性(一貫性)を、私たちは人格(アイデンティティ)と呼んでいるにすぎません。つまり、意識にしても、人格にしても、最初から1つであるという前提が私たちの思い込みであったという衝撃の事実がこの理論から分かります。
なお、意思決定と分離脳の詳細については、以下の記事をご覧ください。
この理論を踏まえると、分離脳が右脳と左脳にそれぞれ分かれて独立しているのと同じように、憑依は、憑依アイデンティティが影響を及ぼす特定のニューラルネットワークがもともとの人格のニューラルネットワークから暗示の影響(ストレス)によって分離し活性化する一方で、もともとの人格のニューラルネットワークが不活性化(ローカルスリープ)してしまったと仮定することができます。この記事では、これを「ニューラルネットワーク分離作動説」と名付けます。
これは、特定のニューラルネットワークだけがローカルスリープになる記憶喪失や腰抜けとは逆に、特定のニューラルネットワークだけが活性化している点で、真逆の病態です。ローカルスリープの逆、「ローカル・アウェイクニング(局所覚醒)」と言えます。ちょうど、脳がまだ未発達な子どもが深く眠っている最中(ノンレム睡眠中)に、一部のニューラルネットワークが活性化する「夜泣き」(睡眠時驚愕症)や「夢遊病」(睡眠時有効症)の病態に似ています。
実際に、宗教儀式で夜通し同じ聖書の文言やお経(歌)を唱え続けたり、同じ仕草や振り付け(ダンス)を繰り返して疲れ果てて意識レベルが下がっている極限状態や、催眠療法でまさに眠りが催されている状態は、特定のニューラルネットワークの「ローカル・アウェイクニング」とそれ以外のローカルスリープを誘発していることになり、理に適っています。また、演技派俳優が役に完全になりきるために、肉体的にも精神的にも極端に自分を追い込む行動も、理に適っています。
なお、リーガンがベッドの上で不自然な動きをしながら助けを呼ぶトランスのシーンは、分離脳によるエイリアンハンド症候群の病態に通じる点で、そこまで不思議な現象でもないと理解することができます。
しかしながら、それではなぜ暗示ごときで分離脳と同じように特定のニューラルネットワークが分離してしまうのでしょうか? もっと根本的な原因があるのではないでしょうか?
>>★【その2】だから憑依は「ある」んだ!-進化精神医学から迫る憑依トランス症の起源
参考文献
*1 祈祷性精神病 憑依研究の成立と展開、p12:大宮司信、日本評論社、2022
*2 意識はいつ生まれるのか、p122:マルチェッロ・マッスィミーニ、ジュリオ・トノーニ、亜紀書房、2015
*3 心の解離構造、p196:エリザペス・F・ハウエル、金剛出版、2020