連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【2ページ目】2014年4月号 映画「ミスト」【中編】どうやったら信じ込ませられるの?ーマインドコントロールのメカニズム

マインドコントロールにかかる心理

(1)環境因子―①閉鎖性

デヴィッドたちは、スーパーマーケットという霧で覆われた密室に閉じ込められています。その中で、たまたま居合わせた人々が生活を共にすることになるのです。そこは、光が遮られ、昼と夜が分かりにくい状況です。また、そこで人々の体の間合い(パーソナルスペース)や心の間合い(心理的距離)はいやおうなく近付いています。お互いのことが目につき過ぎてしまい(対人感受性)、プライバシーが失われていきます。また、食糧には困りませんが、電話、テレビ、ラジオなどのあらゆる通信、受信が機能せず、助けも来ず、全くの孤立状態です。まさに霧の中で先行きが見えません。

このような空間的にも時間的にも閉じている状況(閉鎖性)はマインドコントロールの危険因子です。この状況は、まさに原始の時代の閉ざされた1つの共同体に見立てられます。約20万年前には、私たちの祖先は、最大100~150人(ダンバー数)くらいの閉鎖的な運命共同体(集団)をそれぞれつくっていました。スーパーマーケットの人々が、共同体の擬似家族となることで、前月号で触れたように、集団の安定のために、相手と同じ行動や考えを好み(同調)、何かを拠りどころとして信じ込もうとして(崇拝)、従いやすくなる心理(集団規範)が高まります。これは、原始宗教の心理の特徴です。

昔からの宗教における山ごもり修行や、現在のカルト宗教での社会からの断絶による集団生活は、この心理が大いに働いていると言えます。

マインドコントロールにかかる心理


(1)環境因子―②不安定性―1.心的外傷体験

スーパーマーケットの人々の中の地元民のジムは、初め、カーモディさんをバカにして、暴言を吐いていました。ところが、目の前で次々と人が怪物に殺されていく状況の中、そしていつ次は自分の番になるのか分からない状況の中、様変わりしてしまいます。救いを求めて、完全にカーモディさんの忠実な信者となってしまうのです。デヴィッドたちは、「(霧が出てから)2日も経っていないのに」「精神バランスが崩れたか」と残念がっています。

このような心的外傷体験(トラウマ)による予測不可能な状況(不安定性)はマインドコントロールの危険因子です。ありえない現実を目の当たりにしていつ死ぬか分からない恐怖を味わうと、今まで信じていた価値観(認知パターン)や行動パターンなどの心の拠りどころを失い、新たな心の拠りどころを求めるようになります(パブロフの超逆説的段階)。つまり、極限状況において、脳の既成のプログラムがリセットされて、新しい刺激(条件)による書き換えが起きやすくなるということです。そして、無垢でナイーブな子どものように、新しい刺激を受け入れやすくなるのです。例えば、失恋をして異性の友人に相談をすると、その相談相手に惚れてしまうという話はよく聞くでしょう。これは、失恋を心的外傷と捉えれば、相談相手が新しい拠りどころ(=恋人)となるような脳の書き換えが起きやすくなるということです。

ルール(法律)や論理(科学)と言った理性的な心の拠りどころを失った人々は、恐れや焦り、苛立ちにより、理性よりも感情に支配されやすくなります。より感情的な心の拠りどころを見つけようとします。そして、共同体が結束した原始の時代の宗教的な心が目を覚まします。

現代のカルト宗教の中には、不眠、不休、不食の極限状況を強いたり、社会で悪とされること(犯罪行為など)をあえてさせるところもあります。これは、極度のストレスにより精神的に弱らせることで、またモラルを破らせてもともとの価値観(認知パターン)を壊させることで、心的外傷体験を作り出し、救いや癒やしなどの新しい拠りどころ(=入信)を与えるテクニックと言えます。最近はあまりないようですが、部活動でのしごきにより極限状態を強いることで、チームの一体感を強めるというやり方も、同じ心理を利用しています。

マインドコントロールにかかる心理

(1)環境因子―②不安定性―2.感覚遮断と感覚過剰

予測不可能な状況(不安定性)とは、心的外傷体験だけではありません。それは、閉鎖性によりいつも慣れ親しんでいる五感など刺激(情報)がシャットアウトされている状態(感覚遮断)でもあります。例えば、人間は、閉じ込められたり縛られたりして身動きが取れない状態が一定時間以上続くと、的外れなことを言ったり(的外れ応答)、子どもっぽく振る舞ったりするなど(小児症)、精神状態が一時的に幼くなります(拘禁反応)。子どもっぽくなるという点は、先ほど触れた心的外傷体験による結果と共通しています。

また逆に、新しい刺激(情報)が溢れ返っている状態(感覚過剰)も予測不可能な状況(不安定性)です。これは、入力される過剰な刺激(情報)によって、情報処理が追い着かなくなり、脳がパンクし麻痺してしまい(ストレス負荷)、自ら考えようとしなくなる状態です。

このように、感覚遮断や感覚過剰による予測不可能な状況(不安定性)はマインドコントロールの危険因子です。極端な隔離生活による情報の「干ばつ」が心を日照らせてしまう状況も、メディアなどによる情報の「洪水」が心に押し寄せて溺れさせてしまう状況も、心を不安定にさせます。つまり刺激(情報)は、足りなくても溢れていても良くなくて、適度にあるのが望ましいと言えます。

この危険因子は、ICU症候群(術後せん妄)でも同じです。これは、交通事故や手術後の後、ICU(集中治療室)に入室して、精神的に混乱する状態です。隔離されていることで、いつもいっしょにいる家族と会えず(感覚遮断)、昼夜が分からない明るい部屋で、心電図などのモニター音がピコピコ鳴り続けている状況(感覚過剰)が原因です。

昔から、宗教が盛り上がるのは、その時代の社会の不安定さを反映しているようです。社会が混乱して不安定(感覚過剰)だからこそ、社会がまとまり安定するための求心力を人々は求めて、宗教的になっていくのです。最近では、選択肢(知識)が多い状況(感覚過剰)ほど逆に決められなくなるという心理実験の研究結果が出ています。そんな世の中だからこそ、決定を代行するアドバイザーもまた増えているわけです。そもそも原始の時代から私たち人間は、選択肢などほとんどないシンプルな暮らしを送っていました。暮らしの中で選択肢が急激に増えたのは、産業革命が起きてからごく200年、情報革命が起きてからごく30年です。700万年の人間の心の進化の歴史を考えると、私たちの脳が、過剰な情報化社会に合うように進化するのには時間が短すぎるのです。つまり、テレビ、ネット、携帯電話に過剰にさらされている子どもたちは、主体的で創造的に考えようとする心理を弱め、引きこもりのリスクを高めているとも言えます。

マインドコントロールにかかる心理

(1)環境因子―③視野狭窄

デヴィッドの仲間の1人が「セサミストリートへようこそ」「今日習う言葉は『償い』だよ」と言い、一貫して「償い」という言葉を言い続けるカーモディさんを揶揄します。人々は、もはや「償い」より他の選択肢が見えなくなっています。これは、外界の情報がシャットアウトされた上に(感覚遮断)、視野(思考)を一点に集中させられている状況です(視野狭窄)。例えるなら、暗いトンネルの中にいて、遠くに見える明るい出口に突き進む状況です(トンネル体験)。

このように、トンネル体験(視野狭窄)はマインドコントロールの危険因子です。情報が途絶えて刺激に飢えている心理状態(感覚遮断)では、与えられた特定の刺激からの影響力が強まります。例えば、過激テロ組織で集団生活を送るメンバーは、そこにいる指導者や仲間が唯一のモデル(基準)となり、拠りどころとなります。組織のために自爆テロを行うメンバーは英雄であるという価値観が育まれやすくなり、自ら進んで自爆テロに志願するのです。かつて太平洋戦争で、多くの若者がいとも簡単に特攻隊に志願したのも、この心理メカニズムから理解することができます。また、犯罪の容疑者が、取り調べ室に閉じ込められ、「おまえがやったんだよな?」と刑事に延々と言われ続ければ、この心理メカニズムが働き、冤罪が招かれやすくなるのも理解できます。これらの心理は、まさに共同体が結束した原始の時代の宗教的な心と重なります。

逆に、この心理が健全とされる形で利用されてもいます。例えば、男子校や女子校は、性別を限定することにより、恋愛の刺激を抑えています。進学クラス、寄宿舎生活、スポーツチームの合宿などは、受験勉強やスポーツなどの特定の刺激を特化して与え、拠りどころ(価値観)を統制しやすくしています。

また、極端な例として、少年院の矯正教育では、更生に望ましくない外界からの刺激をシャットアウトして、更生に望ましい日課のみが全て細かく決まっています。

マインドコントロールにかかる心理

(1)環境因子―④乏しいソーシャルサポート

ソーシャルサポートが乏しい状況(孤立)はマインドコントロールの危険因子です。これは、映画では描かれていませんが、とても重要です。家族や地域(職場)などでの集団への帰属意識(集団同一性)が希薄であれば、必然的に心の拠りどころ(同一化)に飢える心理状態になります。マインドコントロールによる強い力に引き込まれやすくなります。実際、家族や地域(職場)などのさまざまな絆が失われつつある昨今の状況は、この危険因子が強まっていると言えます。