【1ページ目】2025年3月号 ドキュメンタリー映画「小学校~それは小さな社会~」【その2】なんで生徒も先生も楽しくなさそうなの?なんで先生はそこまでしてしまうの?
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・不安
・受け身
・アイデンティティ
・勤勉性
・べき思考
・学習性無力感
・不登校
・教師のメンタルダウン
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みなさんが小学生だった時、学校は楽しかったですか? みなさんに小学生のお子さんがいるなら、お子さんは学校に楽しく行っているでしょうか?
前回(その1)、ドキュメンタリー映画「小学校~それは小さな社会~」のいくつかのシーンを通して、日本の学校教育の良さが、ルールを守る規律、周りに合わせる協調性、努力する忍耐力であることが分かりました。一方で、その裏返しでもある危うさは、周りと同じことをやらせすぎる同調圧力、言いなりにさせるモラルハラスメント、吊し上げをするスケープゴートであることが分かりました。
今回(その2)、引き続きこの映画のいくつかのシーンを通して、そこまでされてしまった生徒たちの心理、そこまでしてしまう教師たちの心理に迫ります。
なお、この映画はドキュメンタリーであり、実在する人物が登場していますが、この記事で教師個人を批判する意図はまったくありません。あくまでその教師たちすら巻き込む文化としての日本の学校教育の危うさを指摘しています。
そこまでされると生徒たちはどうなってしまうの?
放送係の6年生の男子と女子が、卒業式を間近にして、放送室でおしゃべりをしています。彼女から「卒業、嬉しい?」と聞かれると、彼は「悲しいと寂しい」と答えます。さらに彼女から「もっといろんなことに責任を持たなきゃいけない? 大人になるって感じちゃう?」と核心を突かれると、「感じちゃうから嫌だ。子どものままでいたい」と正直に答えていました。決して楽しみにはしていないようです。彼のなかにはどんな心理があるのでしょうか?
ここで、大きく2つ挙げてみましょう。
①楽しめない―不安になりやすい
彼らは「責任」という言葉を意識していました。この映画に登場する先生たちもたびたび使っていました。つまり、責任という名の、やらなければならないことやダメ出しをされることが先々にどんどん増えていくとプレッシャーを感じ、萎縮してしまっています。不安そうで、決して楽しみにはしていません。
1つ目の心理は、楽しむことができず、不安になりやすいことです。この原因として、もともと不安になりやすい気質(遺伝)が考えられますが、それと同じかそれ以上に校則や役割があまりにも多すぎる学校環境が考えられます。その1でもご説明しましたが、そんな学校環境のなかでの生徒同士の同調圧力によって自分らしさ(アイデンティティ)が削がれていくために、自分はこうなりたいというワクワクした将来像が見えてこず、漠然とした不安があるだけなのでした。心理学では、これをべき思考と呼んでいます。こうであるべき、こうでなければならないという規律や役割などの多数派(主流秩序)が求める価値観にとらわれてしまうということです。
また、先生たちは、がんばればできると思い込んでいるため、「責任」という言葉を通して「がんばること」を最優先にしていることも要因です。逆に、できていてもがんばっていなければ、認めようとしません。また、楽しめているかどうかにについてはいっさい触れられず、むしろ最初から楽しもうとするとがんばっていないと見なされ、「不真面目だ」という圧までかけられます。楽しむことができるのは、がんばって何かができたあとだけのようです。
確かに、その1でも登場した1年生の女子のように、がんばればある程度できるようになります。しかし、不安へのなりやすさと同じように、がんばるという忍耐力(パーソナリティ)やできるという認知能力にも、遺伝的な違いがグラデーションのようにあります。例えば、がんばって伸びる人と潰れる人、走って速い人と遅い人がいるのと同じです。さらに言えば、楽しんで伸びる人と伸び悩む人もいます。
つまり、生徒の個性(遺伝)によってがんばることと楽しむことのバランスを取り、何よりも生徒を不安にさせなくする必要があります。先生たちが遺伝についての知見を先入観なく受け入れることができていない時点で、やはり時代遅れになっています。
なお、認知能力(知能)とパーソナリティへの遺伝、家庭環境、学校環境(家庭外環境)のそれぞれの影響の度合いについては、以下の記事の後半以降をご覧ください。