【3ページ目】2025年3月号 ドキュメンタリー映画「小学校~それは小さな社会~」【その2】なんで生徒も先生も楽しくなさそうなの?なんで先生はそこまでしてしまうの?

なんで教師はそこまでしてしまうの?

生徒たちの心理は、楽しむことができずに不安になりやすい、選ぶことができずに受け身になりやすいということが分かりました。それでは、なぜ先生たちはそこまでしてしまうのでしょうか?

ある先生が本音を打ち明けます。「ちょっと油断すると大変で、日々戦いですね。自由と制限のバランスって。平均台の上を歩いてるような。すごいバランスの上で仕事やってるなって思うんです」と。どうやら先生たちも生徒たちをもっと自由にさせてあげたいようですが、なかなかできないようです。なぜでしょうか?

ここから、その事情を大きく2つ挙げてみましょう。

①やることが多すぎる―実は教師も不安で楽しめない

給食のシーン。黒板前のモニターの大画面に残り時間がデジタルでカウントダウンされ、0になったらタイマーが鳴っていました。その間、生徒たちは、コロナ禍でもあるため、黙々と食べていました。まるで、オリンピックのタイムトライアルです。時間に追われており、あまりおいしく食べられそうにないです。ここにも厳しい規律があると思いつつ、先生がそこまでするのは、次にやることが決まっているという現実にも気づきます。

1つ目の事情は、教師はやることが多すぎることです。実は、生徒たちだけでなく、その生徒たちの相手をする先生たちも、学習指導要領とその学校の習わしという厳しい規律に縛られています。それをこなせないということは、教師失格を意味します。つまり、生徒だけでなく、実は教師も「自分らしさ」を発揮できずに不安になりやすく、教えることを純粋に楽しめない職場環境に身を置いていたのでした。実際に映画では、自分にも厳しくてつらそうにしている先生はいて、楽しそうにしている先生は見つけられませんでした。そんな先生たちを間近に見ている生徒たちが、楽しくできるわけがありません。そして、そんなふうにしかならないなら、早く大人になりたいと思うわけがありません。

②やることを変えられない―実は教師も受け身で選べない

ある先生は、生徒たちを体育館に集めて、「自分の殻を破る」ことについて熱弁していました。なんと、わざわざセラミックの大きな殻を用意して、自ら自分の頭に当てて割るパフォーマンスまでしていました。そのせいで、おでこから少し血が出てしまい、生徒たちは大騒ぎします。このパフォーマンスの狙いは、実は「殻を破る」ことを伝える以上に、このパフォーマンスを通して、生徒たちが盛り上がり、気持ちが1つになること(同調)でしょう。ここにも熱血(熱血風?)という同調圧力があることが確認できるわけですが、彼がそこまでするのは、このパフォーマンスをはじめ同調圧力、モラルハラスメント、スケープゴートを利用しないと、生徒に「やるべきこと」をやらせられないという現実にも気づきます。つまり、先生たち自身もどうしようもなく、最初の先生が言っていた「ちょっと油断すると大変」なのでした。

2つ目の事情は、教師はやることを変えられないことです。生徒にとって負担である学校行事は、実は同じかそれ以上に先生たちにとっても負担です。しかし、だからと言って、「そこまでやらなくてもいいこと」だとして、行事内容を簡素化しようにも、他の学校ではやっているのに自分たちの学校だけ変えるわけには行かないという先生たち同士の同調圧力が働いています。職員室のシーンで、副校長は「鎌倉幕府は、外(敵)からは守れたけど、内(味方同士の不満)から壊れた」「副校長はボロ雑巾ですから、何でも言ってください」と受容的に話していました。しかし、いくら個別に不満を受け止めても、管理職の立場で行事内容を簡素化する決断は、「自分たちだけ楽してる」と対外的に思われたくないので、避けたいでしょう。それでも主張する教師がいるなら、その人は周りから「他の先生方はがんばっているのに(自分はがんばっていない)」などと言われ、仲間外れ(スケープゴート)にされるでしょう。それを見越して誰も言い出せないという空気もありそうです。

また、生徒たちが着いてこなかったり学級崩壊しようものなら、その先生は指導力がなく、がんばっていないとみなされます。実際に、彼はせっかく「自分らしく」体を張ったのに、そのあとに生徒が興奮して騒いでいて困ったと別の先生から指摘され、謝るはめになっていました。

先ほどの「自由と制限」の「日々戦い」は、生徒たちだけでなく、先生たちも直面していることが分かります。生徒を自由にさせてしまっては先生にそのツケが回ってくる、そして先生を自由にさせてしまっては他の先生にそのツケが回ってくるという理屈です。つまり、実は教師も「主体性」を発揮できずに受け身になりやすく、教育を変えるという選択ができない職場環境に身を置いているのでした。

そんななかで、あえて状況を変えるとしたら、それは教師を辞めることです。生徒が不登校になるのと構図は同じです。実際に、教師のメンタルダウンによる休職率がいかに高いかはすでに社会問題になっています。そして、そんな状況が見透かされ、ますます教師になりたいと思う人が減っています。そんな先生たちを間近に見ている生徒たちが、自分の行動を自分で選んでいけると思うわけがありません。そして、そんなふうにしかならないなら、早く大人になりたいと思うわけがありません。

それでは、どうすればいいのでしょうか?

★表1 生徒と教師の心理


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